かぞえ70歳古希になる 2026.3.11

昨日、愛智神話に由来の諸輪御嶽神社へウォーキング倶楽部の活動で再訪した。
御嶽山が鮮やかに浮かび上り好天氣に恵まれた。神様のことも仏様のことも、なんとなくの凡人に過ぎない私だが、69歳(満68歳)の最後に訪れることになったのも、何らかの導かれた時を感じた次第である。神社の世話人なる方のおもてなしにより、お茶を頂戴し神社の由来など話を聞きながら1時間半にも及ぶ案内をいただいた。

やはり何事にも道理があるなと、つくづく自分の道理の後ろ盾が曖昧であることに気づかされる。

やはり、かまけずに求めていかなければならない。求道心。

さて題にあるようにかぞえ70歳であるが、私が生まれる前の1950年1月1日から数え年から誕生日をもって満の年を数えるようになったとのこと。享年の表現や儀礼的なことはまだまだ数え年で行われる慣例もあるが、先人が考え明記されたのが随分前の事なので、やはりここは、かぞえが良かろうと思った次第である。

杜甫の詩において「人生七十古来稀なり」に由来とある。杜甫は、中国の盛唐期(8世紀)に活躍した詩人で、712年(先天元年)に生まれ、770年(大暦5年)に亡くなったとのこと。58歳で亡くなっているので、やはり叙情的な要素が表現されていることであろう。

さて、70従心の孔子は紀元前551年頃の生まれ。479年に74歳で死去とのこと。
とはいえ文献にされてきたのは紀元後であるから、大いなる教えであろうと感じている。

昨日の話では空海・弘法大師と神様のこと。
今有ることの難しさに、感謝しながら生きていきましょうと落としております。

釈迦は紀元前5世紀頃の生まれ。覚王のことと知る。
四苦八苦や煩悩しかし諸行無常。そして輪廻転生・・・・・・。

母親の遺骨は、覚王山にて釈迦様の御真骨が眠る奉安塔のすぐ後ろ側に埋葬されているので、本日の命を授けていただいたことへの感謝を込めて、お参りしてきます。

さあ、私は何処から来て何処へくのか、これからも愉しんでまいります。
道理を感じ人と生きることが、自然な生き様となるよう精進します。