時の朝礼って?2026.3.2

はがきやLINEで「立春大吉」をご覧になっていただきありがとうございました。
色々なお声がけも頂戴しました。QRなりタップなりでメッセージにアクセスいただいた方も、ふーんって感じに流していただいた方も、改めて時の朝礼って何?との話となります。

30歳にして事業を興したものの自らの至らなさを痛感しながら、どうやって人とのコンセンサスをとれるのかと考えたときに、基本的な自己の考え方や論理的な知見を有していないことを鑑み、まずは自分が学びや気づきを得ないことには始まらないとの思いで、インプットとメモリーそしてアウトプットすることを習慣づけした。

本もろくすっぽ読まない、日本のことも名古屋のことも、昔のことも今のことも・・・・
よくもまあ「日本アドシステム」としたもんだと。
とはいえどうしたものかと思案すれど、すぐに身につくものではない。ここはじっくりコツコツとやるしかないと覚悟を決めたということ。

賢人は毎日の習慣において学びを得ているとのことを、実践するために毎日に課せたこととして、気づきのダイアリーと、アウトプットの朝礼であった。さらに、勉強会やらセミナーやらレジメをつくり自分なりの積み重ねを進めた。

「40にして惑わず」と意識はあったが、これでいいんだと云う真実の使命感には及ばず、
求同心が芽生えたに過ぎないといったところである。それが社是社訓へと繋がったのは成長とは感じながらも、やはり人生とは大いなるものであろうとの考えにも至っていた。

これは死ぬまでやるしかないなと。

であるならば、親のつけていただいた名前に想いを馳せて、「悦びながら生きること」を信条とし、何事も「明るく楽しく元気よく」常に快革の考動に取り組んでいくことを刻みつつ、あてどない人生の旅路を愉しむことであろうと。

しかしながら今、「七十而従心所欲不喩矩」をとらえたとき40歳に感じたことと同様に10年遅れていると感じている。

「六十而耳順」なぜか自分の置くべき仁義がどこにあるのか、なんとなく自然体に感じられることが多くなってきているのが今頃の事である。

時の朝礼をこうしてWEBに置いたのは、かまけている自分に且つを入れながら人とのコンセンサスを探しているからである。ささやかながらの人生がお役に立てることを期待して、
余計なお世話ではあろうが「時の朝礼」を習慣としていこうと思う。